[日本教・じねん]国東仏の里を遍路してみたい

以前から念願だった、「国東仏の里・遍路旅」に取り組もうと思っている。よかネットとの関係を割り切ったので、気分が楽になっている。
私は“じねん”という考えを持っている。これまでの仕事の中でも、都市再開発事業の合意形成手法についても、区画整理事業や郊外の住宅地開発なども、さらに市町村総合計画の策定や、商店街の計画についても、先ずはその地の人や物事の事情・必然性・じねんの力がもとになると思っていた。つねに私の仕事は“じねん”が基礎になっていた。
その”じねん”の元が何かというと、よくわからないが、どうも神仏習合というか、自然を尊重する神道と、他者を尊重する仏教の考えを感じて、自分なりに信じているようだ。神道は「人間の持つ善き心を丸ごと信じてしまう」という前提で、したがって戒律がない。仏教も親鸞の言う「自然のことはりにあひかなはば」ということになると、締め付けは全くない。
なんだかどちらも、137億年前の宇宙の発生以来“ズドーンとつながっている”ような感じだ。それが習合したスタート地点が、宇佐神宮から始まる国東の地だ、というのだから面白い。なかなか“いいかげん”で面白い。
宇佐の弥勒寺は、1850年頃につむじ風によって倒壊したように書かれているものがありますが、明治維新の頃に「廃仏毀釈」をして、宇佐八幡神宮と一緒にあった弥勒寺を毀してしまったようだ。その宇佐神宮弥勒寺が神仏習合の元かもしれません。少なくとも、聖武天皇がすすめた東大寺の建立に対して、宇佐神宮が支援をしたことは間違いないようだ。
私はまだ何も勉強していないので、気分で考えているのですが、これから歩いたり、調べたりしてみたいと思う。
私は、日本の思想史の原点である、神仏習合の地の遍路道を歩きたい。25,000の地図を揃えたので、これからコースを考えて、春先に歩くつもりです。