②1969年に隠岐島(島根県)で感じたこと

島内の人口が、ものすごく減っていた。特に、どの地域に行っても、一番多い世代となっているベビーブーム(団塊の)世代が一番少なかった。
「これはえらいことだ」と思った。
隠岐の人に聞いてみると、その世代の出生者が一番多かったと云う。つまり大都市に出てしまっている訳だ。
京都に帰って、アルバイトに来てくれていた学生さんに二つのことを頼んだ。一つは隠岐島の年齢階層別の人口予測で、もう一つは近畿圏の都市部=大阪府京都府5才階層別の推計値のピラミッド図を作った。当時は府県でもそこまでやっていなかったので、私の設計(社会増減を含む地域別推移率)で、計算を若いアルバイトに頼んだ。新規の出生者数は、20〜40才女子人口の2.13人でやったように思う。
隠岐島内も、人口総数は少ないが同じようにやったのだが、問題が起こった。
ある時、出張から帰ってくると「人口計算をやっていたSくんが、聞きたいことがあると云って、探していましたよ」といった。早速大学へTELして来て貰った。「何困ってるの」、「実はね、5才ごとで計算していくと減少が激しいので男性がほとんど居ない世代が出てくるんですが、男がいなくても女子人口x出生率でいいんですか」「その時はな、君が代役で行くんや」「えッ」と言ったが、途端に、その場にいた所員みんなで大爆笑になった。
当時は、10年・20年後のことを問題にしていたが、40年たってしまった。
15年ほど前に、センチメンタルジャーニーの気分で隠岐島へ行って、助役で退職して議員になっている元係長と、一人出張の夜に顔を出していたスナックに出かけた。
街は、過疎化は進んでいたし、観光には旅費が高すぎて(船は時間がかかるし、飛行機は高い)大変だったが、いくらかU・Iターンもあって、計算よりほんの少し良かったように思う。結局肥育牛などだけでは産業として難しい。
これには後日談がある。この爆笑話を、彼は「これこれの仕事をしていて糸乘さんに質問したら、『君が行って役目を果たすんや』と言われてしまった」と自分で、友人に云ったらしい。真面目な艶笑譚になったらしい。