梅棹さんも亡くなったなあ

 この方とは公の付き合いはほとんどなかったので、お別れ会の呼びかけはないだろうと思う。しかし、長江下流域総合考察団(831127〜1211)の旅は、強い印象が残っている。旅の間中、梅棹先生の「寝酒セミナー」が続いた。梅棹流は「ドボ、ドボ、ドボッと入れてください」だった。「もひとつドボッ」という合いの手も入った。
 その中で「なぜ清という国をシンと読んだのだろう。日本語ならセイになるし、中国語ならチンと呼びそうなものだ」という話が出た。そこで私も、こんなテーマを出したことがある。「クレープデシン(crepe de chine)というのは、清(支那)ちぢみということではないですかねえ。清との貿易のはじめ頃から、フランス語読みが通っていたんじゃないですかねえ」。ところが梅棹さんは「違うと思いますねえ」といって認めなかった。
 しかし今でも「シンのクレープ」説を、私は信じている。つまり清をシンと読んだのはフランス語経由ではなかったか、ということである。
 とにかく、話題の幅が広く楽しかった。
 この縁で、千里の「民族博物館」に訪ねたり、京都の祇園で会食があったりして、何度もお会いした。楽しい縁だった。