オチコボレは「事業仕分け」でなく、「どう生きのびるか」を考える

 「事業仕分け」ということが始まったとき、驚いてしまった。
 これは安全な暮らしが保証された人の発想だ。自分は安全なのだから、少し削って格好を付けようとする。大蔵省がやってきたシーリングと同じだ。
 オチコボレは「食えるかどうか」の不安があるから、収入見込みや借入金の限界を決めて、最低限の費用の確保から始める。日本の国は、今落ちこぼれてしまっているのだ。
 私は、三回ほど小さい会社の再建に関わった。最初は27歳の時だった。船が沈没しかけると、ネズミが全部いなくなるといわれる。これは本当かどうか知らないが、人間の場合は本当だ。会社が危なそうだと感じると、賢い(要領のいい)ネズミから船を下りて別の会社に就職したり、仲間で仕事を興したりする。
どこにも転職先のない、要領の悪いヤツだけ、沈没確定の傾いた船に残される。私も残った。運良く我々の持っていた仕事に、何とかオーナーについていただいた。
残ったメンバー十数人で、とりあえず1年どう生きるか、三年の見通しをどう付けるか、そのためにはどれだけ稼がねばならんか、など全員で十分意思統一をした。収支の数字も全員が共有した。
 どんな集団にも、何か言うと、一寸皮肉な言葉を挟まないと、動かない人がいるように思う。こういう人がいるとなかなか能率が上がらないし、雰囲気も良くない。本人に悪気があるのではないので、やりにくい。
 ところが、全員で意識の共有が出来た後では、全く変わった。
私より10才ぐらい年上の人であったので、「〇〇くん」と呼ばれていたし、年下でもあるので簡単には頼みを聞いてくれなかったのに、再建過程に入ったら、「〇〇さん、次に何をした方がいいですか」と聞いてくれるようになったし、考えて仕事をするようになった。当然、以前の3〜4倍の仕事量は簡単だ。
 この会社は、運も良かったが、みんなもいい雰囲気で働けるようになった。ねたみのような感じは全くなくなった。1年余で、以前よりよい経営状況を目指せるようになった。
 50余年前にマルクスを読んで、「労働価値説」には感心していた。高校生ぐらいならそんなものだろう。マルクスに文句を言う気はないが、「筋肉細胞労働価値説」より、「脳細胞労働価値説」では、労働生産性は、人によって十倍〜百倍の違いが出る事が自明のこととなる。カンのいい人、日頃から勉強をして鍛えている人は、言われたことしかしない人の数倍の仕事が出来て当然だ。
 今の日本に必要なのは、「カンや知恵を生かして、中国より儲かる国にする」という将来像の仕分けではないか。