“無礼者”になったことがある

 原子力発電所の立地をネタに、立地自治体の助役が工事発注建設会社からリベートを取って、その金を関西電力の社長や役員に配っていたという話だ。役員などが助役から贈られたギフト券などを返そうとすると、「無礼者!わしを軽く見るなよ」と怒鳴られた、という話が週刊新潮に出ていた。

 私の場合は、贈答やわいろ以前の話だ。ある町の町長から呼ばれて、役場の移転を含むまちづくりについて相談を受けた。その町を含む広域の地域計画について県の仕事もしていたので、町長さんの日程に合わせて出かけた。役場の建物自体は十分使えるもので、急いで建て替える必要はないと思えた。

 「建て替えるとしたらどこが良いか、どんな建物が良いか」という相談だったので、「分かりました。考えて見ます」と云って、役場周辺や、商店街、駅の周辺を見て回って、役場の地域に対する比重や役割を確かめた。

 役場建て替え計画の私の提案は、現地建て替えだった。役場の現在地は、一応駅から商店街を通った終点に当たり、これが移転すると町の中心が分散することになる。

    結局、現役場を活用しながら、現地建て替えで駐車場もとれるし、商店街との連携を図りながらスーパーマーケットも導入可能だ、というプランを書いた。5~6回呼ばれて、概算工事費や建物の概要まで作った。ここからはもう契約なしでやることはないと思っていたがまた呼ばれた。

    「役場の移転はどうか」と聞かれた。私は、街のかたちからいって、ここから離れるのは商店街との関係からもよくない」と返事をすると、「無礼者!!」と怒鳴られた。私は「エッ」と町長を見返して「無礼なら帰りますよ」と言って席を立った。その後はいかなかったが、5~6か月後ぐらいだったか、町長が逮捕されたという新聞記事を見た。

「絶対バレない、脱税の仕方教えます」と言われたことがある

 1970-5年頃だったかな。商売柄、役所の仕事が多い。となれば、裏金(帳簿にのせずに隠すお金)もいるだろうといって、教えてもらったことがある。教えてくれた人は、わが会社の経営実態が、分かっていたようだ。社長は“財界付き合いをする学者”という振り付けで、会社の実務には一切関心がなく、仕事先の役所の人にせびられると「チョット○万ぐらい」と私に振ってくるぐらいだった。

 少しの金なら、私の収入の経費を作って、税金は私が負担するようなことで処理していた。そんなことを見通していて、同業の先輩経営者が教えてくれた。

 「我々の業態だと、地方自治体からの仕事がある。その自治体の出納に『チョット都合で急ぐので……』とか言って領収書を持っていくと現金で渡してくれる。それは帳簿にのせなくてもいい。税務署は役所経由のお金については詮索しない。大蔵省が自治省の帳簿の確認などについて紹介することは出来ない、本省経由まで行かねばならんから」と云うことだった。

 私は面倒くさいことが嫌なので、少々なら「自分が損をする方が楽」なので実行はしなかった。

 新型コロナ騒動の中、「なぜ大学病院で、新型コロナの検査が出来ないのかということを考えていた時、『厚労省文科省に頭を下げることは出来ない』ということに気付いた。これは大変なことなのだ。上記の大蔵省と自治省の話と同じだ。40~50年経っているけど。

体温が37.5度と聞かされた時、「これは撥ねられる」と思った

私の体温は36度以下がほとんどだ。35.5~35.8度ぐらいが多い。脈拍も、若い頃は48回/分ぐらいだったが、今は90ぐらいだ。高齢者はフレキシビリティが落ちるということらしい。

もう十分生きたので、延長を欲するのではないが、“墓標”の代わりに80年余のオチコボレ流の生き様を書いておきたいと思っている。そのための年内ぐらいの時間が欲しい。今住んでいるところは緑の環境に包まれているが、隣に九大の学生さんがいる。しかし、オゾンと紫外線に包まれているので、ウイルスにとっては住みにくいと思う。

人もうけ流

 久しぶりに有田に行った時、地域づくり計画・焼きものの街振興計画づくりで親しくお会いしていた窯元に顔を出した。その時「先生はいつも“人もうけ”と言っておられましたね」と言われた。“先生”は余分だが、うれしかった。

 私の考えは、地域づくりでも、商売でも、「人とのつながりがベースだ」ということで、「人もうけをすれば食べていける」というオチコボレのライフスタイルだ。

 九州へ来た頃、1980年頃だったと思うが、福祉事業に関心を持っていたので、関西にいたころ滋賀県で知的障碍者の雇用を続けながら会社経営をしている友人もいたので、福岡市西区の辺りの障碍者が働いている施設に行った。気に入るものがあったら買うかなという気分だった。

 そこのマネージャーから、「みんな自己紹介をしましょう」と言われて、私の順番が来たので「ヒトモウケヲシヨウトオモッテキマシタ」といったら「民間人は儲けられていいなあ」と返された。私は何事も弁解しない主義なので、「この国は税金を払う人間よりは、税金で暮らす人間の方が偉いのか」と思ったが返事を返さずに、小さく笑っていた。

 松下幸之助は「税金を払うことは社会貢献だ」と思い、税金を払うことを誇りにしていた。

家畜化した日本、“マニュアル第一・信号第二・安全第三”

 体温37.5度という話が出た時「私は排除されるな」と思った。長生きしたいと思っているわけではないが、「これでは私は排除されるな、急死対策をせねば」と思った。わたしの体温は平穏時に36度以上になることはほとんどない。人々の平常体温には一度ぐらいの幅がある。私に人生の片付けにはあと一年ぐらい要りそうだ。

 しかし、役所の人たちはマニュアル主義なので、「平熱より一度高くなると」とか「 十分平常の話を聞いて」とかいう、それぞれが責任と確信を持つような方針は出てこない。

 “客観的正義・自分には責任が来ないように・役人は一人も責任を取らなくてもよいように・みんなで渡れば怖くない主義”では、心の籠った対応が出来るはずはない。私が10歳までに経験した戦前の“正義”の官僚支配が全盛だ。

 吉村大阪府知事の話は、常に「私がこう思っている」と聞こえてくるが、東京都知事の言葉は「○○アー、○○ウー、○○イー」などと、”心そこにあらず、テレビでどう見えるかな、どう映っているのかな“などで、眼の動きを見ても心が定まっているとは見えない。

 日本が「安全第一・信号第二・マニュアル第三」の国になることを望む。

 コロナウイルスに対する大阪と東京の知事の差

 朝のモーニング ショウというのを見ていたら、全く見当違いのコメントをするする人がいる。いつものことだが、根本的な判断力が違う。

 大阪府知事は判断力を発揮している。判断力は主観的に立ち向かうことから生まれる。2週間ぐらい前だったか、都市封鎖問題が起きた時、みんなが「国の態度」を見守ったが、彼は「大阪はやります」と言っていた。その時、この人は「主観力とリスクをかぶる決意を持っている」と思った。東京都知事は客観的態度でしか行動できない人なのだと思う。「こうすればみんなに受けるだろうか」という気分が感じられる。

この様子を見ていて、この客観主義の基礎を築いたのは石原慎太郎知事かも知れん、という気がした。彼の頃に財政を確立したので、「カネがあるんだから配れば喜び、称賛を浴びるだろう」という気分になっているのだろう。

一方、大阪府知事は「何とか大阪を守ろう」という事しか考えられない立場だし、その判断力という資質がある。

言葉を正確に

 「国がもっと金を出すべきだ」、「国は税負担を減らせ」などと、いろいろな政策が語られている。これを現実に合わせて言うと「次の年度から増税することにして……」とか「今の若いものが、年々負担すればいいから……」とか「次の世代にツケを回せばいいんだから……」とかいうことになる。正確な日本語で話すべきだ。

 「そんなメチャクチャな話をするのは変な人だ……」と云うかもしれないが、75年から80年前の日本人のほとんどが、戦場で餓死し、輸送船が魚雷でやられて海で死に、国内でも空襲で焼かれて死に、また餓死し、戦後も食べるものがなくてカッパライをして警察に捕まったり、病気で死ぬ人を支えながら、国と日本人の再建に取り組んできた。そして工業国家を再建した。