九州北部豪雨で気になったこと

①雨量がすごい。
地域計画屋をやって来たので、雨量には敏感で、実感するために雨の中に立つことなどを、たびたびやって来た。50ミリ/時の雨は、すでに豪雨であるが、120ミリ/時などは限界を超えている。
②この地域の河川の流速が遅い。
地域河川の流量を受け入れるべき筑後川は、この地域以降は、日本の河川としては極めて緩やかで、流速が遅いので、この地域の支流の流量を速やかに受け入れにくい。
③山崩れで流木が起こり、河川の流れを阻害した。
今回の災害がひどくなった最大に原因は流木だと思う。テレビを見た方は、流木の根っこが、あまりに小さいのの驚かれたと思う。根っこの面積は直径1メートルぐらいで、根の深さは1メートルもない。流木杉丸太の長さは、枝や葉が落ちてしまっているが、そこそこの太さの部分で、4〜5メートルぐらいに見える。これは密植されたまま伸びた杉だからである。
日本の国は戦争で山の手入れをせずに、薪で暮らしていたために国土は荒れていた。この荒れた山林を復興するために、戦後植林を進めた。これは二本らしい素晴らしいことだったが、杉苗の補助などもあったので山村農家は遺産で植林をした。その時「密植しておいて10年ぐらいで間引き伐採をすれば、足場丸太に売れるぞ」などと云う噂もあり、なるほどと思って密植をした。
ところが1960年頃になると大建築ブームで、鋼管足場になっていた。丸太の売れ口はなく密植のままなので、ひ弱なスギ林で残ってきた。
実は、私は終戦時が小学3年生だったので、戦後2〜3年したころ植林の手伝いに連れていかれた。力が弱いので大きい夜間で飢えた杉苗に水をかけて回った。
今回の災害を見ると、杉林の間伐をすることも防災の意味があると考えねばならない。今ならばある程度売れるぐらいに太さになっているので、ボランティア型の取り組みができないかと思う。災害後のボランティアを見ながら、何もできない80才後のオイボレのたわ言だ。