東日本豪雨・鬼怒川氾濫の被災者に云った言葉

「ベッドなどがいるんじゃないですか」と朝日テレビのアナウンサーは、84歳の女性の被災者に云った。そのオバアサンは「命を助けていただいて本当の感謝している」といい、その顔つきは「そんな身勝手なことがいえるか」と、変な若い女のアナウンサーの同情心をひけらかすような言葉を、いぶかっているようだった。
朝日テレビ放送は、何かの災害が起これば「国が増税をして、すべて補償をするべきだ」という主張を持っているように聞こえる。ほかのテレビの取り上げ方も、大同小異だ。
マスコミと学校の教師に、不信感を持っている。その原因は小学校三年生の時から四年生の時までの新聞と教師の激変行動にある。
戦争を賛美し、駆り立てたのは新聞と教師だった。その双方は、敗戦になるとすぐに「戦争反対の民主主義者」になった
今でも忘れられないのは、16〜7才の女学校を出たばかりの先生が、出来の悪い子にはすぐビンタを張っていたことだ。いやこれぐらいは十分許容範囲で、小学3年の子供たちは「申し訳ない」くらいの気分だった。その後のことがなければ、今思い出したりはしない。
戦後一年ぐらいたった頃だったか、昼の休みに入る頃に教室に入るなりに、耳聡い子が「オイ、昼からは全校自習だぞ」といった。彼は、何かというと内緒のニュースを持ち込んでいた。
先生からは何も聞かなかったので不審に思っていたが、小使室のオジサン以外は誰もいなくなっていた。2時間分は自習だったが、追い追い話が流れてきた。先生は全員で「バタバタ(オート三輪車)に乗って、13キロ先の鉄道駅のある町の映画に見に行った」ということだった。以前にビンタを張った先生は、このことに、一切触れなかった。戦時中の態度との落差が、あまりにも大きすぎた。70年たった今でも、格好のいいことを言う人間に対する「疑い」を持つもとになっている。