日本人の優しい心のルーツは気候からきている

「自分はどこから来たのだろう」とか、「日本人のルーツ」に関心を持つようになったのは、20歳の時ビッグバンのことを聞いてからのように思う。それから
私は戦前最後の飢餓体験世代なので、小学時代から「日本は平地が少ないから食糧不足なんだ。平野の多い大陸国家は豊かなんだ」と聞かされてきた。だから、中国はさぞかし緑の平地が広がっているのだろうと思っていた。中国へ行ったのは30年たったころだが、中国の風景が、全く予想に反していた。行ったところは長江下流域だったのだが、どこまでも灰色の大地で、緑が極めて少なかった。
将来的に食糧不足が起こるのは、日本ではなく中国ではないかと思った。
その後、何度か中国各地を見る中で、気質が日本人とは全く違うと思うようになった。日本人は戦国時代以来、戦乱があっても農民が移動することはなく、農業集落で力を合わせて暮らしていく土地柄だった。どんな地域でも、鎮守の森の神様を中心にして、集落形態が継続していける地形条件であった。そのうえ、水と緑を保全する気候条件に恵まれていた。
歴史的な大戦乱とされる関ヶ原の戦いでも、半日で終わってしまったといわれている。
中国大陸の平原の場合は、群雄割拠する軍閥間の覇権戦争だから、戦乱が近づくと親族が固まって逃げ、落ち着いたところで暮らしを始めるという形になっていたので、親族間の強固な塊ができた。したがって儒教思想でも、日本と違って“公”の概念はより親族概念が強い。
一度韓国の人に聞いたことがあるが、自分が役人になって何か便宜を図る権限を持つ立場になった時、叔父や甥の依頼などを、「公に反するから」という理由で無碍の断るのは、許されないような一般道徳観があるようだ。