出雲大社の柱

今年の天候は、不順できついですね。私も傘の年に近づいて、草刈りや畑の世話などもきついです。当然ですね。傘に近い年月を生きてきて、日本人としての自分の考えは「おかげさま、おたがいさま」だと割り切れたように思います。
「おかげさま」は縄文人から(大きく言うと人類みんなから)の知恵や物を受け継がしていただいた御蔭で、日々食わせていただいている。また「おたがいさま」は縄文の伝統の上に仏教の教えが合わさったものです。
このことのエポックは昭和47年の秋だったか、大阪や京都駅の都市再開発事業で“みんなの合意できる計画”を考えて、京都駅の辺りをさまよっているときに、親鸞の“じねんのことはり”という言葉に出会って反応しました。
それ以来「計画とは共同合意」と思っている。その内容は「関係権利者の生活再建策、予算、それを前提とするデザイン」でした。「全員が100点」ということはありえない。60〜70点ねらいです。

“じねん”のルーツを訪ねたくて、山陰線回りで、出雲の巨大神殿の柱の実物を見てきました。写真の上が3本組柱の一本、下が実物大のレプリカです。荒神谷遺跡にも行き、「加儀のソバ」も食べて満悦でした。
   2015.7        糸乘 貞喜