別離、ある過去の行方と同じ監督。イラン人のアスガー・ファルハディ

「ある過去の行方」で久しぶりに映画を見た気になったので、同じ監督の前作を、ビデオ屋で借りて見た。こちらの方がすごいと思った。
イランの中産階級の夫婦の離婚調停の話だ。
妻シミンは娘テルメー(中学生ぐらい)の将来を考えて、家族で外国へ(フランス?)移住したいと考えていて、やっと移住許可が取れた。その許可の期限が迫っても夫ナデルが決断しない。
一方の夫ナデルは、認知症の父を置いて離れるわけにはいかず、離婚することになり、裁判所(多くの人でごった返すような、小さな市役所の一部みたいな感じ。国によってこのような手続きの違いが分かり、面白い)で事情を聞かれるが、娘の親権をどちらがとるかで、まとまらない。
とりあえず、シミンは実家にテルメーを連れて戻ろうとするが、テルメー(中学生ぐらい)は動かない。やむを得ず、一人で戻ってしまう。
ナデルは、認知症の父のために労働者階級の主婦ラジェーを雇う。朝7時半に出勤してくれと云うが、通勤に1時間かかるので8時がいっぱいだという。ラジェーは、4歳ぐらいの子供を連れてきている。
ある時、ナデルが勤務先から戻ると、いるはずの家政婦がおらず、父親がベッドに手を括りつけられたまま倒れているのを発見する。そのため、ナデルは、戻ってきた家政婦を家の中に入れずに外に追い出してしまう。
その時突き飛ばしたから、ラジェーが流産してしまったといって、ラジェーの夫が訴えたので、ナデルは殺人罪の容疑者として拘束されることになる。イスラム法では妊娠120日後は殺人罪が適用される。
実は、ラジェーが眼を放しているすきに、認知症の老人が外へ出てしまう。慌てて外に捜しに行くが、その時クルマにぶっつけられてしまう。とにかく老人を連れて帰ってベッドに括り付け、病院へ行ったのではないか?。ラジェーはイスラムの信仰心が篤く、老人が失禁した時、「身体を洗うことをしていいか」と、イスラムの聖職者にいちいち電話をかけて指示を受けている。
ラジェーは、それぐらい信仰心が篤いので、突き飛ばしたのが流産の原因ではないという。
こんな錯綜する中でも、常にヒジャブ(毛髪を隠すためのスカーフ)を被っていなければならないし、法律や習慣が分からないので、よく理解はできない。
しかし、その状況の中で話が進むので、面白い。ドキュメンタリー映画を見ているような気分になる。
テルメーがシミンについて実家へ行かないのは、そうすると本当に離婚してしまうのではないかと心配しているからだ。実際この夫婦は、“絶対に分かれようとしている”とは描かれていない。
この映画は、両親との調停の後、テルメーを呼んで「どちらの親と暮らすか」と聞き、テルメーが考えているところで終わる。
ストーリーは分かりにくいが、イスラムのイランの状況は何とかわかるし、将来の仕事の不安や老人問題など、これからこの国は、この国の人たちは、イスラム法の中で、どう進めていくのだろうと考えた。
この二つの映画について、誰かと話したい気分が強いのだが?