国東探訪、宇佐神宮・御許山 2014.3.18

【17日】9時半天神の日銀前スタート(I君の車)。宇佐の手前で薦神社へ行った。ここは池がご神体になっているところだ。
午後宇佐観光協会の小野さんから、ルートの取り方についた教授を請う。(25000の地図持参)
夜は、真玉の「美のり」で 1500円の最高の刺身を食べる(定食なり)。

【18日】9時過ぎスタート御許山へ向かう。取り付きの道が分からず11時ころまでうろつく。ここまでの道は車も通れるアスファルト道路だが、ミカン畑の辺りで迷った。なんとなく道が分かって普通に歩き始め、13時過ぎ頃に御許山登山口に着く。
取つきの道が分からず、登ったり下ったりして、気分が壊れてしまったので、登頂をあきらめて引き返す気になってしまった。
昨日聞いた話では、ここまでが2時間で、登山口から上は道の勾配もきつく、道も悪いので1時間半かかるといわれていた。そこでおにぎりを食べて、少し休んだら14時過ぎになっていた。休息で気分もよくなったので、もう少しだけ登ってみようと歩き出したら、大変歩きやすく気持ちのいい登山道だ。それほど急坂ではなく土の道なので、足に優しい。結局、大元神社・御許山山頂を目指すことにする。
この登山道を歩いていると、巨木を切り出した根株や、運び出そうとしたワイヤーで巻かれた倒木などがあった。今回は国東めぐりの自己テストのつもりなので、気になるところでは必ず立ち止まって写真を撮った(2日間で200枚)。
16時には大元神社に着いた。この神社には線香とロウソク立てがあった。この奥がご神体になるのだが、ここから先には入れないことになっている。奈良の三輪山も近づけないようになっているのか、行ってみたいと思った。
この御許山は、なんとなく神仏習合を感じるところだ。線香やロウソクを神社のご神体に供えるものなのか。山頂の手前には御許六坊跡がある。かなり大規模な跡地で、かなりの規模の寺院があり、多くの僧侶がいたのだろうとうかがえた。


ここは、近世末まで存在した僧侶の住居跡だ。宇佐八幡は、山頂付近だけでもかなりの仏教遺跡がある。そもそも宇佐八幡は仏教が8割だったと観光協会の人がいっていた。宇佐神宮寺は、江戸時代の終わりごろから廃佛が激しくなり、火事にも遭ったりして廃寺になったようだ。







山頂には大イチョウがあった。これもご神木なのだろうが、ご神体は三つの巨石があるようだ。この大元神社は、山頂のご神体に入る門のような役割のようで、少し下にある社務所の建物とともに簡単なものだった。およそ下にある宇佐八幡宮の巨大な建築群と比べるべくもない。考えてみれば、日本の神道には建築施設はなかったのだから、この山頂こそが宇佐神社なのだろう。そして、簡素な巨石のご神体(そこまでは入れないので自分で見たわけでなく、書物に三つの巨石のことが書かれている)と、大規模な六坊跡にいた修行僧が、当時の神仏習合を示しているようにも見えた。