オチコボレにとってのマネジメント

われながら変な気がしている。
25歳で就職できたのは編集屋だった。会社のオヤブン衆が何とかしようとして、新しい雑誌を出したり、市場調査業をやったりし始めた。まあこれは良いことだったと思う。残念ながら借り入れが嵩んで資金ショートして、立ちいかなくなった。
倒産が近ずくと、かしこいネズミは船から離れるという。どこにも行けないやつが半分弱いて、「何とか再建しよう」と云うことになった。そこで私は組合の委員長になって、再建の中心にならざるを得なくなった。有難かったのは、いい人に社長になっていただけたことだった。この社長の力が再建の原動力だった。
人間の仕事は、腕力労働は限界があるが、機転を利かしたり考えたりする知的労働は、速く本命に気が付くかどうかで決まる。カンがいい人と鈍い人とか工夫しようとしない人とでは、労働生産性が5倍や10倍ぐらいはすぐ違う。
みんなで話し合って、仕事のサポートをし合った。工夫やヒントなどを謙虚に学びあった。営業もサポートし合った。
マネジメントとは、「うまくやる、どうにかする」と云うことだが、とにかくわが倒産組は「何とかしよう」と助け合った。このマネジメントに、私達はよく頑張ったと思う。そして1年余りで軌道に乗り出した。
うまくいきだすと「自分の居場所」がないような気がするし、もうここにいる必要がない気がし、少し妬まれそうな気もした。
1年余りたって「退職したい」と云ったら、みんなに引き留められたけど、止めさせてもらった。
今気が付くのだが、「何か問題がある」と云う時にヤリガイを感ずるタイプなのかもしれん。いうなればマネジメントが好きなのかもしれん。
これが最初の“倒産体験”だ。