名張毒ぶどう酒事件

私も、幼いころから親が言う「かみさんが見とってくれるから、仏さんが見とるよ」などと云われて、「うそを言うな」と云うことを躾られていた。いずれ神様が助けてくれるという気分が強かった。
この、「名張ぶどう酒殺人事件」も、警察の取り調べが苦しくて、一応言われる通りで署名しておいても、後でチャンと言えば「神様・仏様が助けて下さる」と云うような気分になったのだろう。「署名は事実の絶対的な根拠にされる」などと云う西洋の論理を知る由もなかったに違いない。この豊かで優しい気候の国に育った“日本教徒”にとって、「署名が事実の証明になるなんて、神や仏はどこに行かれたのだ」と不審に思うのが当然だ。
裁判官も単なる公務員で、安定した職場で出世したいだけなのかもしれない。
このごろ「裁判員裁判は、素人には厳しいからプロに任せるほうがいい」と云う声がマスコミに出ることが多い。
しかし私は、全く逆に考えている。素人裁判員は少なくとも「無難に努めれば出世に有利」などと考える余地がない。さらに最も大切な「人間としての判断基準」では、平均すればはるかにレベルが高いと思っている。
そういうことを考える映画だ。裁判関係者の人間基準について、昔出会ったことをいづれ書く。