大相撲九州場所二日目(続)

と云うわけで、隠岐の海応援の理由は述べた。隠岐の想い出は多いので、特に10何年か前に、センチメンタルジャーニーで訪れた。当時、担当の企画係長だった方とも再会した。改めて、過疎地の問題に仕事として初めて取り組んだことを含めて、書いておきたいことはいっぱいある。しかし今日は大相撲。
客の入りが悪かった。九州で大相撲をやる意義は大きいのだから、もっと応援に行かねばならんと思う。
<私の大相撲論> 歌舞伎観劇に似ている。もちろん、嘉穂劇場で見る「座長大会」などにも似ている。人形浄瑠璃や能は、もっと真剣な雰囲気の人がいるので、少し違う。もとは歌舞伎や相撲と同じような雰囲気だったのではないか。
この雰囲気は、テレビでは味わえない。テレビは相撲勝負観戦だ。場所で相撲を見ると、「スポーツ芸能」見物だ。つまり相撲文化観戦だ。何しろ「物言い」がついて、「東方の○○関の髷が先に着いたので、西方の勝」と云うのだから。
私は、この“アバウト”なところと、激しいぶつかりの音や息ずかいが共存しているところが好きだ。