オスプレイ

理念レベルの低い男のツブヤキ
この問題が出た時から、若泉敬の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という本が気になって、「これは、いよいよ読まねばならんのか」と覚悟をした。今まだ1/3ぐらいしか読んでいないが。
核持ち込み問題にしても、基地問題にしても、すべては「沖縄返還」時からつながっている。
若泉敬は、核密約をめぐる問題に言及して、帰らぬ人となった。
オスプレイは、少なくとも辺野古移転が進んでいれば、少しは気分が楽だったかもしれない。「そういう根性がいけない」ということかもしれないが、生きるということは常に妥協の連続だ。これは国にとっても同じだ。
沖縄の「核抜き本土並み返還」運動のころだった。沖縄出身の友と話し合ったことが思い出される。彼が大学に来て感じたことを聞いた。
「日本に国はすごいと思った」「何に感動していたんだ」「来た頃は毎日大阪の都心に出ていた」「どこへ行ったんや」「とにかく阪急百貨店のエスカレーターに乗って、ぐるぐる回っているだけでも、満足していた」と云った会話だった。
返還後、沖縄の彼の家に行って沖縄の典型的な豚料理をいただいた。舟を借りてもらって、釣りにも行った。沖縄の暮らしは豊かだったが、街はまだ豊かには遠かった。
彼の「感動」といった言葉を思い出す。「他策」があったのだろうか。