”ちづる”という映画を見た。「居場所」のことを考えた

母と兄が千鶴の将来のことを相談していると、自閉症の娘が、2年ぶりに施設へ行くと言い出した。そして行ってみても、結局そこは気に入らない。
「この娘の居場所を、どう見つけたらいいのかな」と思いながら映画の画面を見ていた。
すると兄が「居場所見つかるかなー」といった。
  *映画を見ている間中、子や孫のことばかり考えていた。
飲酒運転の自動車事故で、タクシーに乗っていた父親を失って、3人家族になった母親は、息子「別に暮らす」といいだしたことに悩んでいる。将来、この娘と関わってくれるくれる人間は息子しかいないんだと思い、「あなたの運命なんだから」と息子に云う。

この映画は、大学の映像学部に入っている息子が、自閉症(先天性の脳機能障害)の妹を見つめたドキュメンタリーで、母が「あなたの運命なんだから」という画面を撮っているのは息子だ。自閉症の娘がカメラにむかって云っているときの相手は息子だ。
  *私の子供の頃には”居場所”などという言葉はなかった。
私の小学生の頃、同級生に”ウスノロ”といわれている娘がいた。何時も背中に妹だったのか弟だったのか憶えていないが、括り付けて、教室に入ったり出たりしていた。「子守」をしているのだが、何時も背中をオシッコでぬらしていた。その子の集落は学校まで1.5キロぐらいあり、2,3時限目ぐらいの頃に学校に来ていたように思う。
  *あれも”居場所”だったのか。
ある時、教室の中程の、並んだ机の中ほどで、その娘が”オー”といった。見ると回虫の大きいのが床に出ていた。女の先生も、困って、黙ってみていた。すると同級生の弘子ちゃんが、サッと立ってそれをつまんで便所の持って行った。帰ってきて授業が再開されるまで、誰も何も言わなかった。「弘子ちゃんはえらいなあ」と思った。小学2〜3年の頃のことだ。
「ちづるの居場所」はどうなるのだろう。