“クロッシング”という映画を見た(8/4)

 サッカーのボールを蹴りながら、父(ヨンス)と息子(ジュニ)が遊んでいる風景が、母親の病気(結核)によって、一挙に暗転する。ヨンスはその薬を買うために、豆満江を渡って中国へ出稼ぎに行く。しがみつくジュニに、「薬とサッカーボールを買って帰る」となだめて分かれる。結局薬を得て北朝鮮へ帰ることがかなわず、脱北支援グループの手引きで、ドイツ領事館へ駆け込んで韓国へ亡命する。
 一方、北朝鮮に残った母と息子は、母が亡くなりジュニは孤児となった。そして父を捜して豆満江を渡る。
 その頃、ヨンスは韓国で稼いで、やっと結核薬を買える金ができて薬局に行く。そこでメモを見せて薬を頼むと、薬剤師の女性は「この結核の薬は診断書を持ってきてくれ。無料で渡すことになっているから」といった。それを聞いてあっけにとられるヨンスの顔が大写しになる。南北の差はこんな所にあるのだ。
 多くの人のサポートを得て、父子は携帯電話で連絡が取れるようになる。ジュニはモンゴルへ越境すべく丹東から列車に乗る。国境の有刺鉄線は超えるが、町に出ることもかなわず息が絶える。ヨンスはモンゴルの空港まで来ていながら、ジュニとは生きて再会することが出来なかった。
 私は早くから拉致問題に関心があり、1985年頃には、鹿児島の吹上浜で話を聞いたことがある。又95年頃に、中国の丹東から北朝鮮を覗いたこともある。結局この2国間は上手く行かないだろうと思った。
 丹東(北朝鮮新義州と鉄道で結ばれている、中国への玄関口)へ行ったら「鴨緑江の観光船に乗らないか」という。鴨緑江の中央が国境である。観光というのは、漁船を改造したような船で、対岸に係留されている粗末な軍船や漁船を覗いたり、岸辺の20メートルぐらいまで近づいて写真を撮らせたりするツアーなのだ。
 いかにも野次馬根性の私でも、いい気分ではなかった。イジメ型の差別を目の当たりにしているようで、つらかった。こういう蔑視の積み重ねは、どんな結果をもたらすのだろう。