マルクスは、資本主義を悪いものだと考えていなかった

 資本というものは、過去の人類が知恵を絞って考えた労働の中から生み出されたものだ。
 これを悪いと言ったら、生まれ変わるごとに再出発をしなければならない。いつまで行ってもサル以前のままだから、人口も増えるはずがない。

 これは分かり切ったことなので、「世代間詐欺」を合理化するサギ経済論が出てくるとは予想していない。金融資本とか株式資本といっても、それは必ず実業に使う前提である。実業の中で過去の労働の成果を活用して、新しい商品やサービスが生まれれば、より豊かな社会になる。
 「発表産業」といわれるような、良さそうなネタを発表しては、「株が値上がりしたときに売り逃げて儲けている」と非難されるようなことや、サブプライムローン等はサギ手法だ。産業とは無関係なものだ。

 金融工学などといっているが、これは自分に都合のいい借金の組み合わせをやっているだけだ。
サブプライムsubprimeというぐらいだから、低級で補欠的なローンである。「おこぼれパクリ産業」が製造業やサービス業より儲けがよいはずはない。
 だから、少しは「よい貸付先も混ぜるから、全部がリスクのない貸し付けになる」などということにならず、すべてが“危険なローン”になってしまう。
 もともと金融というものは、ものやサービスによる付加価値の生産のサポートをして、そのおこぼれに預かる産業である。ということは、貸付金利の数分の1でもリスクが入ると、マイナスになる。 
 危険な貸付先が少しでも入ると、不良債権になる。アメリカの金融工学というのは、「少しは悪い貸付が入っても、全体で平均すればなんとかなるだろう。分らんだろう」というような程度の低い算術だ。
 基本的に成り立たない理屈を唱えて、短期で食い逃げをする、詐欺をしようとしていたのだ。