世界遺産でなく、日本遺産を!!

世界遺産登録を喜ぶという日本人はおかしい。どうかしている。
古代から、悠久の自然のパワーを大切に受け継いできた日本人が、世界(と云っているがヨーロッパの価値基準だ)遺産をありがたがることはない。
群馬の富岡製糸場は、フランスからの導入らしい。導入が悪いとは言わないが、日本人の遺産としては、導入したものから一歩進めた日本人の努力を遺産にしたい。
グンゼという会社がある。もとは郡是製糸だ。この会社の凄いところは、当時の農家の収入を安定的に確保するために、地域の力で作られた製糸会社だということだ。
そもそも郡是とは、郡の是(基本方針)だということだ。グンゼ㈱の波多野鶴吉も、八女郡是の田中慶介も、前田正名との出会いによって郡是運動に取り組んでいった。前田正名のことを簡単にふれておく。
正名は嘉永3(1850)年生まれの鹿児島藩士で、1865年に長崎の語学塾にて学び、明治2(1869)年にフランス留学、9年に帰国して内務省勧農局に出仕、11年にはパリ万博事務官長および総領事になっている。14年以後勧業関係の職務にあたり、農商務省の『興業意見』30巻の編集をしている。
その後、山梨県知事、農商務次官などにつくが、明治23年省内の対立の中で辞任して貴族院議員になる。その後、高橋是清などと在野で活動する。
全国行脚の中で田中慶介や波多野鶴吉に会っている。その当時の姿を、富岡鉄斎が描いて、その行脚の姿と書が石碑になって京都の知恩院に残っている。
グンゼのことを考えていると、日本人が国のカネではなく、民間の地域づくり運動として、ハードな施設だけでなく、それを作り出す運動までも進めていてことに感動する。