キムチ漬け、で感じたこと 

キムチ漬けのことを挨拶状に書いたら、「送ってくれてもいいよ」という感じの年賀状が来た。「それなら」と思ったが、少し味の言訳を書かねばならん、と思っているうちに書いた駄文を、ここに入れておく。

キムチを漬けたが、これは日頃、お店で買うアマイ・ウマイものとは違います。それは朝鮮半島中北部がルーツの方の指導のせいだと思います。

九州に来たころ、辛子メンタイを食べて、アマイ・ウマイ風に味付けしたものと、プリミティブな“辛子だぞ”というようなものとがあることに気が付いた。そして後者の方が飽きが来なくて、自分向きだと考えた。その明太は長浜の魚市場の中の卸商店にあった。
そのことが分かってから、東京・関西などの手土産にするときは、わざわざ長浜の魚市場に行った。ま、ひょっとして、「安モンしか持ってこない。もうちょっと気の利いたものはないのか」と思っていた人がいるかもしれない。

しかし私は、「アイツは、努力家だから、“名前が売れてる有名ブランドだ”と分かると“すごくうまい”と感じる能力」があるような人間ではない。結局「自分が旨い、気に入る」と思うかどうかで決めていた。確か1〜2度、上司が「失礼な奴だ。常識が分かっとらん」いっていることが間接的に聞こえてきたことがある。

結局のところ、私は「正しい、正義」という客観判断が嫌いなのだ。自分の思いで感じる「私が好きなものです」という平凡さが気に入っている。

グダグダと書いたが、「ま、そういうことです」。

少し気になっていることは、①洗って、2つ割にして一昼夜風にさらして、②また2つ割にして(結局4つ割になる)、葉っぱの間に塩をまぶしこんで桶に漬け込み、翌朝「天地返し」をした(上と底で、塩味の差がつかないように)。③それが「キムチ」以前の白菜ずけ状態だ。これに午後からヤンニョムをまぶしこんだ。 実は、このヤンニョムをまぶす前の「塩ずけ状態」の白菜には、白菜の甘味と旨みみが出ていて旨かった。その味は、私の子供のころ、12月上旬だったと思うが、母親の手伝いをして漬けた、白菜の味に似ていた。
わが田舎の漬物は、白菜と大根が四斗樽(ネットで見ると高さ55センチ、直径58センチ、深さは44センチと書かれているが、子供だったせいかもっと大きかったような気がする)2本づつぐらい、1月下旬には寒風で干した大根の“寒づけ(寒中につける)”も、1〜2本あったように思う。キムチが私の子供時代を思い出させてくれた。
というようなわけです。   ではまた