このオレは何者だ、何ができるのだ

なんとなく、「俺はこう考えるより仕方がないのだ」と思いだしたのは、都市再開発事業で、300世帯余の立ち退き計画にかかわって、割り切るより仕方がないという気になった時だ。
「俺は何ができるのだ」と思った時、「人の世話にならない限り一秒も生きていられない」と気づいた。今立っている所は「人の労働(先人)」がかかわっている。生きているためには場所が必要だ、歩いている道を作ったのは先人だ。
「自分だけでできることって何だろう」と思ったら、自分の内部、自分の心、自分の性格を変えることぐらいしかない。心以外は全部他人の世話になっている。
「そうか、何もできないんだったら、一生懸命考えて、この計画ならみんなが納得してくれるだろうと思えるまでもがくこと、しかないのだ」と割り切った。
その頃手助けになったのは親鸞の“じねん”であった。
今までの仕事で一番充実感があったのはこの仕事だった。10年間ほどかかった。
結局言い換えると、「人類の歴史全部に借りがある」のだということ。