中国の長江(揚子江)の勾配

1983年の秋、長江下流域総合考察団という名目で、初めての中国へ行った。76年に四人組が逮捕され、77年には文化大革命終結宣言と云うことになり、党幹部も全員人民服姿ながら、何となく明るい雰囲気があった。ほとんどどこにも、毛沢東肖像画がないので少し物足りない気がしていて。
その旅で一番内陸へ入ったのが湖南省洞庭湖の南)の長沙市で、ここが毛沢東のふる里の大都市である。さすがに、駅前には巨大毛沢東像があり、至る所に肖像画があった。とりあえず省の建設庁の方に、街をバスで案内して貰ったのだが、長江の支流の湘江に来たとき不思議に思った。長沙子は長江の河口から1800キロ上流である。河幅が大きいので、湘江大橋をバスで中洲の上まで来て説明を受けた。その橋の点が、海抜29メートル。川の水位は橋の下4〜5メートルあたりだ(水位は海抜25メートルぐらい)。
計算して見入ると、
1800キロ÷25M=1M当たり72キロ  となる。
アユタヤとバンコクの間も、約100キロ当たり1メートルぐらいの高低差なのかな。
因みに、淀む川といわれていいる「淀川」は、淀(三川合流点)の辺りから河口まで約40キロ。高低差が15メートルくらい。長江なら千キロぐらいに当たる。