「この不満を、誰にぶっつければいいのか」という言葉を、テレビのニュースでよく聞く

 この世の中、日本だけかも知れんが、「不満ぶっつけられ係」という役割があるようだ。
 現代社会っでは「不満を持つのが当然だ」とされているようだが、私の世代では全くそんな感覚はなかった。
 先日、中3の女の子が家に火を付けて、両親などを意識不明の重体にしてしまったというニュースが出ていた。油をまいて放火をするというようなことが、簡単にできるということが分からない。
 私が、こどもの頃の一番怖い言葉は、母親から聞く「お母ちゃんが死んでしまったらどうするんや」だった。同級生にも、母親が亡くなった子がいたし、日常的なリアリティーのあること場だった。「手伝いをよくして、病気にならないようにせねばならん」と“不安”がいっぱいだった。
 昔は「不満」を持つゆとりはなく、「不安」といっっしょに暮らしていた。
 現代は学校教育とマスコミが、現代の目の前に迫る「不安」を誤魔化して、「不満」をあおっているように思える。「五年後・十年後」を考えると、大変な不安社会なのだが。