“挫折を味合せたい”(元体操のオリンピック選手(?)の母が娘に対した言葉

この冬のことだったと思う。なんとなくテレビを見ていたら、小学生ぐらいの女の子が体操の練習をしていた。引退して結婚し、娘を育てることが日常となっていた母親は、体操競技から離れた体になってしまっていた。娘がちょっと「お母さんと競争したい」というようなことを言ったのだと思う。そこには「お母さんに勝てるようになっている」という自負が込められていたのだろう。
そこで母はトレーニングを始め、体の作り直しから始めた。やっと娘に勝てたとき、傍らで見ていた人が「なぜそんなに勝つことに頑張ったんですか」と質問した。それに対する答えが「娘に挫折を味合せたいから」だった。いい母親だ。

何となく「木枯し紋次郎」を買った

作家か評論家が「私は時代小説は読まない。なぜ山本周五郎を読むのかって?山周はみんな現代小説ですよ」と書いていたことを覚えている。ところで、笹沢左保の「木枯し紋次郎」も現代小説だと思う。
大阪事務所を千里ニュータウンに作った時、土曜日の午前会議の後、千里センターの大丸ピーコックで弁当やおかずを買い、缶ビールを飲みながらだべっていた。「なんでわしらみたいな零細企業の人間まで、ビールが飲めたりするんやろう」「誰がこの分を稼いでくれているんやろう」などとだべっていた。
すると、初夏の頃だったか、朝日新聞の夕刊に「就職あっせんは同系列で」という記事が出た。大手企業の系列会社が就職あっせんの会社を作って世話をしているという記事だった。また、一週間たつと「結婚も同系列で」という記事が載った。この方は、明らかに前の記事に対応させたもので、夕刊のページも段数も同じぐらいになっていた。
この記事を見るとわれわれ悪ガキは、「わしらのような中小企業の人間は仕事もないし、も結婚もできんということか」「いや、われわれ無宿人は、大手に雇われて働くんや」「敵味方に分かれて雇われたらどうするんや」「その時は、お互いに怪我をさせんように、ちゃんと示し合わせてやらないかんよ」「あっしには関わりのねえことでござんす。てなことをいいながら」などと“おだをあげて”いた。
木枯し紋次郎を見ると、テレビに出ていたのは1972年1月1日からだとある。千里ニュータウンに事務所を作ったのも1972年だ。