「国が、お盆の帰省の方針を決めてくれ」って、これは狂ってる
「コロナにどう対応するか」国が方針を出してくれ。「熱中症が大変」これも対応を示してくれ。この国は“人間みたいな動物の飼育場”なのか。誰か働く人間はいるのか。飼育係の動物はいるのか。
“ド田舎”の子供の科学教育とコロナウイルスの感染ルート
私たちが受けた“ド田舎”子供の科学教育について書いてみたい。これが「コロナウイルスの感染ルート」に対する関心のあり方を教えてくれると思うからだ。
コロナウイルスのニュースで、一番肝心なことは「感染ルート不明」の感染者の実数が増えているか減っているか、ということだ。ルートがわかるということは対策が立てられるということだから、とりあえず安心だ。
昔の田舎の子供は、出来るだけ仕事を手伝うのが常識で、子供の側も全員心得ていた。そのなかで田圃の水張りの見回り(「田圃に水が当たっているか。水が枯れていないか」を見に行く仕事)は一年生ぐらいになるとできる仕事で、それぞれの家の仕事として近所の5~6年生たちと数人で一緒に行くことが多かった。
任務は①田圃一面に水が行き届いているかどうか、②畔に穴が開いていて水が漏れていないか、③水が田圃に入るように上の水路を調整する、ということで、年上の子が面倒を見る。問題は、分かっている水漏れ穴はふさげばいいのだが、見つからない穴をどうするかで、年上の子が「お前はチャンと見つけんか」と叱りつけながらサポートして手伝ったりする。モグラの穴は畔だけにあるのではなく、少し内側の方から畔まで続いていたりする。つまり、モグラの穴が分かればいいが、穴がないように見えるあたりの水が抜けていることが問題だ。
これはまさに、自然の中での科学教育で、観察力、判断力、実行力の教育だった。このような中で、学校の成績では全くダメな子でも、自立できる大人に育てられた。こんな環境で育ったことは、私にとって有り難いことだった。田舎で家業を手伝って暮らしている子供の自立が進みやすい理由は、この辺りにあるのではないか。
私は大学では、「大学卒というもの」になることが目的だったので、講義には1パーセントぐらいしか出ていない。しかし多くのアルバイトの中で、オンザジョブトレイニングを受けた。どんな仕事に当たっても興味をもって身につけようとした。
最初に就職した編集屋でも、アルバイトで身につけた校正の技術で、まず信頼を得た。またアルバイトの中で多くの人たちとかかわりを持ち、話を聞き、仕事内容を確かめるということを学んだ。これが編集屋としての取材力のもとになった。そして就職後まず狙ったのは、湿式コピー機の使い方で、その速さで一番になった。こんなつまらないことが信頼の基礎になる。(これは7月5日ごろに書いたもの)
肺を病んで 息切れの夏 そよ風受ける
肺を病んで 息切れの夏 そよ風受ける
立ち上がり 酸素不足に 北窓の風
息が切れ 木漏れ日の下で 立ち止まる
酸欠が こんなに辛いと 分からずに
問題は感染経路不明者数・新型コロナ
人生・人間社会の安全は、問題発見・問題整理・対策・解決能力にある。これがすべての人の常識だ。子供でも「水が漏れている・どこに穴が開いているか・どんな穴か・何で穴をふさぐか」を考える。
このところ東京の感染者拡大について、都知事の発表などを聞いていても「感染者増えて大変です」しか言わない。問題解決意識がないとしか思えない。つまり「穴が不明の水漏れ」に注目するという意識がない。
つまり“経路不明感染者数”が増えているかどうかが問題だ。できれば、翌日・翌々日に経路不明から経路推定数を発表すれば、問題解決へ向かっているかどうかが分かる。東京都知事の発言では、「問題が分からないのか」「分からなくしたいのか」「理解していないのか」が分からない。こんなリーダーがいることは不幸だ。
“掛かりつけ医師”なんて、そんな身分は?
「まず掛かり付けの医師に連絡して」と言われるが、わが身は「掛かりつけ医師」を持つ程の尊大な存在ではない。国民みんなが「掛かり付け医師」を持っているというのは本当なのかな。
”掛かりつけ医”というシステムに疑いを持っていたが、一応知人に紹介してもらって、5月30日に「内科、胃腸内科」のクリニックに行った。病院とは言わないところだ。
肺臓は、「下部が曇っているが、古いものですね」と言われた。ふるけりゃもう問題ないのか、肺の能力は十分なのかよくわからないが、一応、問題発生時に相談するところが出来た。