「首都東京を守ることが国を守ること」ではなかった75~80年前の日本の歴史

こんな状況になると、一番有り難いのは田舎・農村・漁村だ。そして食べ物、日用品が暮らしを支える。戦後の頃、高級着物はコメや野菜と交換されていた。我がとなりの桶屋のオジサンは、毎日忙しかった。時々鋳掛け屋のオジサンも回ってきた。日常の道具が一番大切だった。