集落の執行部の懇親会(5月16日)

 私も農村集落の隣組々長をすることになりました。
この馬場区(昔はムラと言い、部落と言っていた)は60−70戸の集落で、運営は区長、会計、農区長が三役で、その下に4隣組の組長がいる。その一人になるということです。私は積極性に欠け、何事も、はじめは進んでやるということはないのですが、受けたら精一杯やるというのが身上なので、二年間一所懸命、地域のことを学びたいと思います。(仕組みは下記の、「よかネットより」をお読みください)

 ムラには「出ごと」という共同作業があり、集落の雑草刈り、お宮掃除などに出ました。
 夜には「新旧役員の慰労会」というものに出ました。組長も役員なのです。この辺りは都市と近いので“純朴”というわけではなく、柄の悪い飲み会で閉口した。
 今では、そんな場にもコンパニオンというものを呼ぶ習慣が出来ており、何の芸もないのですから、ガラの悪いのが取り柄のようなものです。
 とにかくよそ者の新人(役員の中では最高齢)なので、素直に役目を果たしていくつもりです。

“組長”というものになるの記――コミュニティー民主主義体験記(よかネットより)
 組長いう言葉から浮かぶイメージで、もっとも強力なのは「山口組」であろう。この組織は、家父長的が絶対で、一家意識で統一されている。次いで浮かぶのが二番手にある「住吉組」かもしれない。

 実は、私が今度なることになっている組も住吉組であるが、これは日本の伝統に根ざしたムラ民主主義の基礎になっている隣組である。集落のことを、昔はムラといったり、部落といったりしてきたが、今では“区”といっている。私の住んでいる馬場区は、区長、会計、農区長が三役で、それに加えて四つの隣組の組長が入って集落運営の執行部となっている。この三役制度が、どのような過程で形成されたのか、まだよく分かっていない。面白いと思ったのが、農区長という農業に携わっている人に対応する役があることだ。

 私は農村の出身であるが、高校時代から村を出ているので、ムラ行政の実態は分かっていない。ここに住み始めて10年であるが、集落の事情も、人々の顔と名前もよく分かっていない。地元では同姓が多いので、ファーストネームで呼ばれているから、一層憶えにくい。

 ムラ民主主義と書いたが、それを感じたのは宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだ時からである。この本の最初に「対馬にて」という文章があり、そのまた最初が『寄りあい』である。ここに書かれている寄りあいの情景に感動した。彼が古文書を見せてもらって、徹夜で写したが終わらないので「この古文書をしばらく拝借願えまいか」とたのむと、「そういう問題は寄りあいにかけねばならん」といって、古文書を寄りあいの席へ持って行った。
夕方まで議論して、過去のムラで対処したいろいろなケースを思い出し、失敗したこともふまえて、統一した判断を見つけ出すというプロセスをたどる。ムリをせずに合意形成をするのである。古老に聞いたところでは、「昔は腹がへったら……家から弁当をもって来た……夜になって……そこへ泊まる……結論が出るまで……といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついた」「みんなが納得のいくまではなしあった」ということである。

 話を本題に戻す。
組長予定者の最初の仕事は、「選考委員会」を作って、次の区長と三役を決めることである。選考委員は各組から二人出て(大体現組長と次期組長がなる)8人で構成される。この8人が、器量、年令、経験、識見などに配慮しながら、先ず区長になってほしい人の所へお願いに行く。受けてくれる人が出るまで、同じ候補の所や、次の候補の所へ行く。区長が内定したら、後の二役は区長に任せたり、一緒に頼みに廻ったりして三役が決まる。

 私が経験しているのはここまでで、三月上旬に次期執行部が決まったところである。この経験の中で、宮本常一の『寄りあい』を思い出した。もちろん、この忙しい現代で60年前の対馬と同じではないが、雰囲気・気分はほとんど同じである。三月下旬には区費(コミュニティーの税金)の徴収がある。地区はお金も含めて民主主義の原点になっている。国税地方税のように、権力で集めているのではない。これからいろいろ経験していくことになるが、また報告できることがあったら、そうしたい。20100320記