高校二年の時、“友とはどういう意味か”ということを考えた

友人の遺書が自殺後届いた時に考えたこと。結局、「お互いが同じようなレベルで、友と思うことはない」と考えるしかないと思った。

<“友”の定義は何ですか。「朋友相信じ」? 一方的な関係?>  061127

“とも”という言葉を辞書で見ると「そんな分かり切った言葉を見るな」とばかりに、「友、朋友、友人」などと書かれている。当たり前のような言葉でも、状況描写を入れて面白く書いている「新明解」でも同じだ。つまり「みんな共通の理解をしている」ということらしい。

思い返してみると、私のような太平洋戦争敗戦の時、国民学校三年生であった人間には、友という言葉ですぐ連想するのは「兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ」という教育勅語である。これは「お互いに信頼しあって」という意味である。

メル友という関係があるらしい。一日に何回もメールを交換しあって信頼関係を築いている若い人たちが多いと聞く。「友=お互い」ということであれば、それほど何度も交換しなくても良さそうなものだが。状況から考えると、「友=お互い」というのは建て前だけの話ではないのか。

ところで私のことであるが、高校二年までは「友=お互い」を固く信じていたし、世の中はすべてそうだと信じていた。そういう状況を裏切った私のことを書こうと思う。

高校一年の国語の教科書に、木下杢太郎の詩がのっていた。

    むかしの仲間

  むかしの仲間も遠く去れば

  また日ごろ顔あはせねば

  知らぬ昔と変りなきはかなさよ

  春になれば草の雨

  三月櫻

  四月すかんぽの花のくれなゐ

  また五月には杜若

  花とりどり人ちりぢりの眺め

  窓の外の入り日雲

そのときの同じクラスに、K君がいた。彼は私たちより一つ年上で、写真館に勤めながら高校に来ていた。働くと言うことは、その年頃では恥ずかしいことと思っていたし、もちろん、貧乏は恥ずかしいことであった。隠すというわけではないが、私にはその事情を話してくれていた。お互いに貧しい農山村の出身だということもあった。

一年の三学期に、彼が私の下宿に来てゆっくり話したことがあった(私の里は冬季は雪が深くて通学不能なので下宿していた)。そのとき仲間内の写真を出してみていたら、その写真をコピーして、仲間のみんなに渡るようにするから貸さないかといって、私のもっていた高校一年時の秋の文化祭の写真を持って行った。当時写真の複製などということが出来るのかと思い、お金のことも心配だったが、写真館にいるから出来るというので渡した。

二年になって、クラスも変わってK君に会わなくなっていた。彼は高校をやめたらしいという噂を聞いた。「写真が帰ってこなくて残念だ」とは思ったが、何となく忘れていた。

その年の秋11月初めごろだったか、少し厚めの封筒の手紙が来た。Kからだった。

あけてみると「写真の複製が出来なくて悪かった」ということなどを書いた手紙と、写真と、上記の詩があった。胸騒ぎのする手紙だった。

翌日、一年時の担任の教師に手紙を見せて相談したが、すでに、その日の朝刊の地方版に、4~5行のベタ記事でKが熱海のトンネルのところで投身したという記事が載っていた。12月下旬、一年生の時の教師も含めて3~4人で彼の里の墓に参った。霙が降る寒い日だった。

「友人という言葉の意味は、一方的な関係のことだ」ということが身にしみた。自分が「彼とは、彼女とは親しい」と思えば「友人」なのだと思う。自分が思えば相手を信頼していいのだ。それが通じないのは仕方がないのだ。あるいは勘違いかもしれないが、何も恥ずかしいことではない。相手から真に友人だと思われているのに、それを忘れるような奴は、私のように“にぶい野郎”なんだ。

それ以来、「お互い」ということをあまり気にしないようになった。“心の問題についてバランスさせる”なんて分かるはずがない。私の身近におられる方には迷惑かもしれないが、今でも私は身勝手な“一方的な友人”を一杯つくっている。人間関係というものは、契約ではない。お互いが一方的な関係だと思うしかない。

実は、大学の友人との関係でもう一度ある。

このときも厚めの封筒が来たが、その日は出張で家にいなかったので、その手紙を見るのは2~3日後になった。

九州の出張先へ共通の友人から、「心当たりを探してくれ」という連絡があったが、遠い出張先にいる私には、少し電話をするぐらいで手の回しようも考えられなかった。大学を出てから20年間もつき合ってきているので、忘れているようなことはなかったが、仕事が忙しい立場になっていて、落ち着いて話をするようなことがなくなっていた。手紙は“意味不明ながら生きている”ような気力のないものだった。

結局、最後のところの気分では、彼からの一方的な関係になっていたかもしれない。

人間関係で“お互い”ということはあり得ないのだと思う。相手の立場に立つことは出来ないと思うが、日ごろから人間の存在状況についての“想像力”を訓練しておいて、相手の“思い”を尊重するぐらいかと思う。

もちろん仕事の場合も同じだ。というより、仕事をするときの態度として、そう心がけている。情報サービス業という商売は、この“想像力”が勝負だと思う。「思いこみの激しい糸乘さん」といわれて面食らったことがあるが、「思いやり」は思いこみ抜きにはあり得ない。思いの籠った知的サービスをしたいと思う。

しかし「調子を合わせて群れる」ことが苦手なので、「付き合いが悪い」と言って、大勢の仲間の中で口を極めて面罵されることがあったが、「私は群れることが苦手なんですよ」と言って弁解しながら、面罵を受け続けた。お互いに丁度バランスするようなことは難しいと思う。