(続)リーダーシップがいる?

ブログや暑中見舞いに「もう会社とは関わりをなくした」と書いたら、「実は私も同じような事情になっている」という手紙が2通来た。どうも私の友人は、おっとりした人が多いらしい。
日本人は「無宗教です」という人が多いが、外国人からみると「相当に宗教性が強い」と見られていて、その宗教は“日本教”だと云うのがイザヤ・ベンダサン山本七平の言い分だ。私が初めて山本七平氏の本を読んだのは、たしかカッパブックスで出た「日本資本主義の精神」だった。その刊行は1954.9月となっているから、おそらく1955年頃に読んだのだと思う。数年前から探していたが見つからなかった。よほど気に入ったので、誰かに「読め」と押し付けたに違いない。その友人は面白くもないと思って、読まなかったので返していないのだろう。気に入った本はなくなりやすい。
高校生の頃はマルクス主義にかぶれていたが、就職して倒産に遭遇したり、再建にかかわらざるを得なくなったりしたので、みんなの合意形成や、マネジメントなどばかりやっているうちに、左翼系の人は責任追及が得意で、リスクとはなんとなく離れるというやり方がうまいと感じた。そんな経験の中で“日本教”になっていった。
日本教では会社を、①仕事で金を稼ぐ(義務を伴う)機能集団という性格と、②みんなで守りあう共同体という(どちらかというと権利的)性格が一体となったものとみている。したがって、稼いだお金の分配だけを狙っていて、仕事で稼ぐ役割に貢献しようとしない人は、困った人ということになる。しかし、後者の共同体という役割もあるので、稼ぎ額を割り出して分配しようなどという人は少ないという前提になっている。
京都アルパックのマネジメントをやることになった時、計画屋とかコーディネーターと云う商売の機能集団を経営していくためには、原価管理を取り入れないと無理だと思い、その仕組みを作った。ところがインテリは人から評価されることを、ことのほか嫌がる。結局、1〜2年でつぶされた。
次に原価管理に取り組む機会は、変なことで訪れた。田中角栄内閣の頃、狂乱物価・異常インフレが起こった。当然賃上げ要求も起こった。組合は大衆団交(70年アンポ以降流行っていた)方式で、30%アップぐらいの要求を掲げて社長とだけやるといってきたらしい。そこで社長が「みんながいいと言うことならいいのではないか」と返事をした。当然組合員は「全員いいな」といい、「賃上げが決まった」と云った。社長は「みんながよいと思うことはよいことだ」と返事をしただけだ、というようなことを言っていたが、もちろん議論は終わってしまった。
しばらくすると組合幹部が私のところへやってきた。「こんな感じで団交が終わったんですけど、ほんとに賃上げしてやっていけるんですか」という。「君らが全員賛成して、社長も賛成しているんだから、それでやっていったらいいんじゃないの」と私は取り合わない。翌日また組合幹部がやってきた。「本当にやれるんですか」と尋ねる。私は一晩考えて、何とか25%アップぐらいでやってみようという気になっていた。もちろん十分な成算があるわけではない。
コンサルタントとか計画屋という商売は、採算を合わせることが極めて難しい。問題はみんなが、時間をかければよい仕事ができると勘違いをしていることだ。仕事が遅れるということは、経営上の決定的なミス・欠陥だが、幹部も含めて納期を伸ばして時間をかけることができれば、手柄だとしていた。「納期を2か月伸ばしてきたぞ」と云いながら、意気揚々と会社に帰ってくることは凱旋のようだった。勿論支払いも遅れるわけだ。
全員を集めて「①原価管理をやってみんなで合理的な経営を目指すこと、②もっと頭で考える仕事にして品質とスピードを上げる、そのためには外に出て現場に行く、事例を見る、本を読む、を徹底したい。そういう気持ちで賃上げを受けよう」と話した。原価管理は、やりにくい仕事ほど必要だ。もちろん工業のような分かりやすい数字は出なくても。
原価管理をやることの問題点は、「成績に対応して給与を支払え」という要求が出てくることだ。仕事には手間がかからず金額が多いものと、経験のない仕事で苦労するものなど、条件が違いすぎる。要領のいい所員は、楽で効率のいい仕事にうまく取りついて、成績評価を言いだしてくる。この要求が強いのは、団塊世代以後の連中だったように思う。私は会社の仕事をよくするための原価管理で、人間評価の手段ではないと突っ張った。
こんなことに力を入れていたので、誰を抜擢してとか、次のリーダーはなどということには、エネルギーが向かわなかった。オチコボレ流は経営意識が弱いのだ。