2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

今日の花 バラと藤

義経も、オチコボレの大先輩だったのだ

850年ぐらい前に生まれた人なんだけど、生まれるとすぐから命をねらわれ、まともな人生は送れなかった。長じて兄の頼朝を助けて、平家を破る手柄をたてるのだが、「ええ格好をしすぎる」と頼朝に嫌われ、さらに追われて自害することになる。 オチコボレ諸君…

貴船まで歩いてくると、和泉式部の足跡があった(20100423)

樹齢千年という杉の木があった。倒れた杉の根っこから生えたものらしい。会わせると二世代の巨木が繋がっている。 和泉式部は、義経より一八〇年ぐらい前にこの辺りに来て蛍を見ていたのだ。

義経が駆け回っていた大木に触ってきた 鞍馬で

鞍馬から貴船へ歩きながら、この樹の辺りを義経が飛び回っていたんだな、と感じて来た(4月23日)

オチコボレ経営者の、税金・役人嫌いの弁 3

?税金を出来るだけ少なく、遅く払うこの為の追求が原価管理の元になったし、経営上最も有効に働いた。 1968年にマネージャーとなったときの事務所は、全くマネジメントの意識がなく、「成り行き丼勘定」だった。象徴的なことは、業務委託の期間が終わっ…

オチコボレ経営者の、税金・役人嫌いの弁 2

経営を安定させて、いざというときにも、給料を払えるようにしておきたい。 27歳の時の倒産経験が、このもとになっている。 社内留保が大きくなると、それだけ経営が安定する。本社ビルなどを持っていると、イザというときには、貸しビルにしたり、売りに…

オチコボレ経営者の、税金・役人嫌いの弁 1

役人嫌いの根源について書きたい。 働いている期間のほとんどが、小企業の経営者だった。その時のポリシーは、3点ある。①世間並みの給料は払いたい。基準は「県庁の職員ぐらいは」であった。②経営を安定させて、いざというときにも、給料を払えるようにして…

私が子供の頃怖かったもの

以下は友人に送ったメールのコピーなんだが、「怖かったもの」について書いているので引用します。 「むかし貧乏人というものがいた 私の生まれた山間の村にも、コジキが子供を連れて歩いてきた 下のムラからわが部落まで、3〜4キロあった 歩いたら腹が減…

人もうけ物語、オチコボレでも“人もうけ”が出来たらメシは食える

1985年頃だったと思う。関西にいる頃から、障害者福祉などに関心を持っていてので、福岡の知的障害者施設で、パーティーのようなことをやると聞いたので、出かけていった。 自己紹介の順番が回ってきたので「馴染みのない九州に来たので、人もうけに来ま…

オチコボレは「事業仕分け」でなく、「どう生きのびるか」を考える

「事業仕分け」ということが始まったとき、驚いてしまった。 これは安全な暮らしが保証された人の発想だ。自分は安全なのだから、少し削って格好を付けようとする。大蔵省がやってきたシーリングと同じだ。 オチコボレは「食えるかどうか」の不安があるから…

日本人全部がオチコボレになったことがある

全部ではなく、「ほとんど全部」だった。1885年頃から明治維新という体制が出来る1885年まで、武士は失業し、百姓・町人は何のサポートもない人生を生きていた。1885年に、日本銀行の兌換券が確立され、全国と浮いての社会システムが出来た。 60年…

困ること

ブログの書き方から、落ちこぼれているので始末に負えない。

困ること

ブログの書き方から、落ちこぼれているので始末に負えない。

オチコボレ流の行き方

ブログが、なかなか言うことを聞かないので困る。とにかく開くと巨大な写真が出てくるが、どう消したらいいかわからん。このブログは、“オチコボレ流”の行き方(goingのこと、生存ではない。まあ、それほど差はないがね)について書いていこうと思う。私が、…

1.オチコボレとは

<一口で言えば> 世間の正常とされているレギュラー路線、レールから落ちこぼれた人。オレは世間の定義ではなく“オレの道を行くぞ”と唸って、我が道を行く人も、積極的なオチコボレである。 ずっとレギュラーでいる人、途中でレールから外れてオチコボレに…