「仕事とは何か」受け継いでいる知恵を生かすこと

ボクの身体には全人類が生きている
 ボクの身体には全宇宙が生きている
ボクの一日には、昨日までの全人類のチエが詰まっている
 今日の一日に、全宇宙の歴史が詰まっている


ニューヨークのラガーディア空港から飛び立った飛行機が、
 バードストライクによって飛行不能に陥った時、
  パイロットは、ハドソン川に不時着水することに決めた
  その瞬間,彼は多くの人々が彼を励ましてくれていることに気付いた
彼は次のように語っている。


「私の師匠たち、そして愛する者たち――私を教え、励まし、
 そして将来性を認めてくれた人たちが、様々な形で
  あの1549便のコックピットの中に、私とともにいた。
エンジンが二つとも止まった恐ろしい状況だったが、
 私には多くの人々が授けてくれた教訓があり、
  そのお蔭でなんとか対処することが出来た。クック氏の教えは、
   あの約5分間のフライトの中でも生きていたのだ。
……やっと気づいた。ハドソン川に下りた道程は
 ラガーディア空港から始まったのではない。
  その何十年も前に始まっていたのだ。」


これと同じことが、ボクの今日の一日に詰まっている。
 朝起きて歯を磨く……これは何時頃から始まった知恵だろう
  オニギリを食べる、この米はどれだけの人の工夫で栽培されたのだろう
   何十年も前に始まっていたのだ
今日一日を生きるために、どれだけに知恵のカタマリがいるのか、
 父母やジイサン、バアサンだけでなく、ずっと以前の先祖の知恵
  隣に住んでいた人たちの先祖、同じ村の人たちの先祖。
何百年も前に始まっていたのだ  
 今年、いろいろなモノを食べ、いろいろなことで楽しみ
  学校で学び、マチで学び、ヤマでまなび、鍛えた。
   これは何千年も前から続いてきたのだ


人間って、結局チエの受け継ぎのウマイ奴らだ
 その受け継ぎのどこかが違っていたら、
  ボクの先祖のどこかが違っていたら、僕はいない。
ある年、飢饉が起こっていたら、わが先祖は途切れている。
 ボクが今生きているのはどんな偶然なのか、
  ボクも次に何かを繋ごう。人類の一人にメンバーとして
人類は、みんな駅伝のランナーなんだから

幸島のサル、麦を食べる仮説と行動

幸島のサルが麦を食べるということが、テレビで放送されていたということを聞いたので、もしやと思ってグーグルで検索してみた。その中で最も分かりやすいのが串間市市木小学校の記事だった。

イモを洗って食べる行動
1才半くらいのメスの子ザルが、サツマイモを小川(わき水)で転がして遊んでいたことから、砂やどろが落ちてきれいに食べられることを発明しました。
 『イモ洗い』を発見したサルには『イモ』という名前がつけられました。
 この『イモ洗い』の行動が、他のサルたち(仲間)にも伝わり、兄弟や子どもから母親へと伝わっていきました。
 先日、幸島へ行きました。
このサルは、まかれた麦を拾ってきて、水たまり(塩水)に入れて、麦を洗って食べて いました。
 このような食べ方で食べていたサルが数ひきいました。
 麦を水につけながら、塩味をつけて食べることを楽しんでいるようでした。
 塩味をつけると、おいしいのかな?
 このような行動は、サルが頭を使ってやっていることなのだそうです。
 幸島のサルは、この他にも見よう見まねで新しい行動をはじめています。
 ○ 海に入って泳ぐ。(海の中にもぐる。)
 ○ イモや麦を海水につけて食べる。(塩味にする。)
 ○ 上手に洗って食べる。
 ○ 魚をつかまえて食べたり、貝を拾って食べたりする。

この記事では、麦をサツマイモの塩水で洗うことと同じに、塩味を付けるとみていますが、私の見たときは(160606)、山から流れてくる少量の水の流れ(真水)に浮かせて、砂まみれでない麦を食べる行動でした。
その時の2匹の子ザルは、砂にまみれた麦を攫ってきて、水の上に撒き、1粒ずつ手早く拾って口へ運んでいた。この時の子ザルの“仮説”は、「①これは水に浮く、②砂にまかれている麦を砂まみれのまま攫ってきて撒くと麦が浮いて砂と分けられる、③砂まみれでない麦の方が食べやすい、④麦だけ食べよう」という態度だった。
最初1匹がそれをすると、もう1匹も同じ行動をとり、2〜3回繰り返した。その時、隣の大人ザルは、それを見習わずに、砂がついたままの麦を口に運んで食べていた。大人ザルには、仮説─実行─仮説─という知的行動は見られなかった(160606)。

日々]今年は好天だったので、柿が豊作だ

4日に20〜30個ぐらい取った。隣の学生さんに20個ぐらい持って行ったが、つい子供の頃を思い出して、皮をむきながら6ケも食べてしまった。効果はてきめんで、夜半から下痢。5日朝は下腹が痛い。しばらくすると胸がつかえ、背中もいたくなった。草刈を続ける予定だったのが出来なくなった。結局、草刈りは台風後。

草刈り機の故障

9月になった少し涼しくなったので、庭の草刈りを始めたが、刈払い機が故障しているようなので、何度も自分で直そうとしても無理。結局13日にグッディに修理を頼んだ。「ビスが一つ外れていて故障した」という見立てで、20日間かかった。結局、草刈りを急ごうと思ってから30日ぐらいかかった。ところが、新品を買うのと同じぐらい払ったのに、エンジンがかからない。
私は、修理期間が長すぎるので不審に思った。「ビスが取れて」という故障原因がおかしい、と言いに行った。日本人の職人さんが、「ビスが緩む」ような仕事をするだろうか?
「これはmade in chinaではないのか?」。もしそうなら買い替える方を選んだのに。
10月3日に修理完了ということで取りに行って持って帰ったが、やっぱりエンジンがかからない。結局、代替機(パワーがかなり弱い)を借りて草刈りをしている。10月4日

台風25号

10月5日夜半から、6日9時ごろまで強風。相変わらずNHKテレビは、11時が過ぎて12時ごろになっても、朝8時ごろに云うべき「今後まだ風が強く吹くので……」と言うべきことをしゃべっている。

蕎麦湯、蕎麦打ち

蕎麦湯について次のような文章が出ていた。
・「育ってきた環境の違いなのか、蕎麦の茹で汁を飲む人をはじめてみた。蕎麦湯だからと言うのだけど、茹で汁ごときを健康に良いといって平然と飲む姿を受け入れられそうにない」
・「まともな蕎麦屋行ったこと無いんじゃないのか」
・「蕎麦湯って当たり前に出てくるものだと思ってた」
・「蕎麦湯知らんとか、どんな人生歩んだらそうなるのか」
これを見て笑ってしまった。日本という国は、気候や生活習慣の多様性があっていい。実は子供の頃私も、蕎麦湯を飲む人を見てびっくりした。わがふる里は山陰の雪国なのだ。ソバは寒いところほどうまいというが、秋の終わりごろには、母親が打ってくれる蕎麦が楽しみだった。
蕎麦のゆで汁は、冷まして牛に飲ませていた。牛の大好物で、人間が飲むとは思わなかった。戦後2〜3年経った頃、スキーに来る人が増えて、わが母親のそばは大人気だったが、「蕎麦湯を飲ませてくれ」という人がいて不思議だった。なぜ牛の呑むものを呑むのか。「やっぱり都会は今でも食糧不足なのか」と思ったりした。
その頃、母親の蕎麦打ちを手伝っていた。今ではその頃を思い出して、私も蕎麦を打ち、蕎麦湯を呑んでいる。

「行こう、どこにもなかった方法で」

 面白いだけでなく、いい気分になる本だ。この本を買う気になったいきさつを書いておこう。この頃気になる本で、日頃関わりが少ない分野については、アマゾンの検索についているカスタマーレビューを覗くことがある。そこでは極端な意見に分かれていた。一つは「面白い」という意見で、もう一つは「身勝手な自己主張だけで、詰まらん」というものだ。以下に、書き込みの見出しだけを引用したので見てほしい。
・文章力があり、情景が目に浮かんだ。
・行き当たりばったり人生を書いた自伝本
・やっとわかりましたバルミューダの凄さを
・作者の自慢話を聞いているよう。得られるものは少なかったと言わざるを得ない
・情熱の大切さを思い出した
・結局自己主張したいだけ やってきたことは、面白いと思うが、だから何?っていう文章。自己満の本。久しぶりにハズレてしまった。評価良いレビューは、ほぼ関係者だと思ってしまうほどの内容。
私はこのような否定的意見が出ている本は、出来るだけ買って読むことにしている。「面白い」という意見は、極めて主観的に物事をとらえて、感情をこめて読んでいることが分かる。後者は自身の自我関与がなく、客観的に読んでいる。
戦後なのか、明治以来なのか分からないが、文部省の教育方針は客観主義で、物事の判断は客観的でなければならないということにしてきた。しかし本来の研究や開発は、当事者が「主観の限り」を尽くして、いろいろな「思い込み」をして「自我関与の戦い」がなければ何も起こらない。
60年前ぐらいに読んだサルトルの本に「同義反復では、何ものをも造らないし何ものをも変ええない」というようなことが書かれていたことを思い出した。